欠田誠のマネキンの世界
第8話 マネキンの足元(その2)
 マネキンをどのような方法で立たせるか、それはモードの変遷、とりわけマネキンと靴とのかかわりかたの変化とともに、いろいろなシステムが工夫され変化してきました。

 1928年に日本で始めて洋装マネキンが創られたとき以来、マネキンは足の裏にパイプを入れて、鉄板に立たせるという方法でマネキンを立たせてきました。この方法はパイプが外に見える事も無く、簡便でしかも丈夫で狂いも少なく、今でもマネキンを素足で立たせておく場合(ディスプレー前に一時マネキンを待機させておいたり、倉庫でマネキンを保管しておいたり)のために採用されています。

 では、マネキンと靴とはどんな関係だったのでしょうか、マネキン専用に作られた靴(マネキン靴)を履かせていました。それは靴底がビニールや厚紙などで柔らかく作られており、靴底にはマネキンを立たせるためのパイプを通せるように穴が開いています。靴の色はせいぜい黒と白と茶色、ヒール高は大まかにローヒールと中ヒールとハイヒール、デザインもシンプルなパンプス調のもので、靴は付属品としてマネキンの納品時にセットされるものと考えられていました。

 マネキンは服を着せるためのもの、足元をあまり気にしなかったのは事実でしたが、それで満足だったわけではありません。

 次に描き靴の時代がありました。原型で靴のかかとまで形を作り、後は好みに合わせて靴を描くという方法です。メーキャップの人達が注文に応じていろいろなデザインの靴を描くわけですが、この方法はとても時間がかかる上に違う靴に履き替える場合にはそのつど、せっかく描いた靴を消して新たに描き換えねばならないなど、それに服に対して描き靴と言う質的な違和感はなんとも致し方なく、描き靴の時代はそれほど長く続きませんでした。

 マネキンでファションをコーディネートして見せるというディスプレーの意識の変化とともに、マネキンには市販されている本物の靴を履かせる時代を迎えます。

 今まで主流だったマネキン靴の需要が減って、デザイナーが衣装にあわせて市販の靴を自由に選んで履かせるという傾向がより顕著になってきました。

 この傾向を加速させた要因の一つに1995年1月に起こった阪神の大震災があります。

 マネキンの靴は特殊な靴なので製造しているメーカーは限られており、そのほとんどの工場が神戸方面に集中していました。工場が壊滅的な被害を受け、これを機にマネキン靴の入手が困難になったのです。

 市販の靴を履かせてマネキンを立たせる方法として最初に考えられたのは足の裏ではなくお尻にパイプを埋め込んで立たせる方法でした、このシステムはスカートに対応できてもパンツを履かせることは困難でした。然しパンツの需要がそれほど多い時代でなく、このシステムは簡便で、比較的多くのポーズのマネキンに対応出来るなどのメリットがあって結構使われました。

 今日では、ジーンズやパンツの流行、それも細いパンツやブーツに対応するためのマネキンの立て方には本当に苦労していると言うのが現状だと思います。パンツのデザインは、いかに足を美しく見せるかというデザイナーのこだわりがあります。そのためにも、マネキンを立たせるためのパイプや金具などが足元に目立つ事は極力避けなくてはなりません。

 それぞれのマネキン会社で独自な方法が考えられていますが、一般的に、今のマネキンの足元には素足で立たせるために足の裏と、靴を履かせるために足のくるぶしの少し上の辺りと、ブーツに対応するために足のふくらはぎあたりと、3つのシステムが採用されて居りそれぞれにパイプが埋め込まれています。それでもいろいろなタイプの靴に対応し、しかもマネキンを正しい位置で安定して立たせるために、研究課題が残されているのが現状だと思います。

 マネキンは造形の美しさを追求して創られるばかりではなく、服を着せたり靴を履かせたりするために、目立たないところでいろいろな工夫が施されています。