欠田誠のマネキンの世界
第26話 人体彫刻とマネキンの造形(素材にまつわる話)

 人体の魅力を造形し表現すると言う意味ではマネキンの造形は人体彫刻と変わりません。

 今日のマネキンはFRP樹脂でつくられており、手先だけは金型成型による塩化ビニールで作られているのが一般的です。塩化ビニール製の手先は丈夫で柔軟性がありますので、展示の際によく床に落としたりされることの多いマネキン手先には適した素材です。異なったポーズのマネキンにも同じ手先が共通して使われる事が多いのでボディー本体の数より同じポーズの手先を数多く生産する事になりますので金型成型のメリットがあります。塩ビ製の手先は破損しても修理が出来ないので。その分丁寧に扱うと言うより、消耗品としての意識のほうが強いように思います。

 マネキンの素材の変遷を大まかに辿ってみると、カルトン(強固な紙による成型)、石膏、蝋、ファイバー、そしてFRP樹脂、と変わって来ました。それは形やデザインと言った造形のソフト面でのテーマよりもマネキンの用途に適した、より使いやすいマネキンを作るためのハードな面での工法、素材の追求の歴史だったといえます。使う事を目的に作られるマネキンと、人体彫刻と大きく異なるところだと思います。

 マネキンの素材として求められる要素は、形が正確に再現(複製)される事、壊れにくい事、軽量である事、堅牢である事(高温や低温に耐えられ変形しない事)、修理がしやすい事、量産に適している事、いろいろな塗装が可能である事。より安価な素材である事、更に環境に優しい工法や素材であること、等が求められます。

 私がマネキンの制作を始めたのは1957年、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)彫刻家を卒業した年に京都のマネキン会社に入社した時からです。当時マネキンはファイバーで作られていました。2年後にはFRP樹脂製のマネキンに代わりましたので、すでに工場では新しい素材や工法の研究が進められており、大きな変革の時を前に私自身いろいろな体験をする事が出来たと思っています。

 ファイバー製マネキンは1928年(昭和3年)に島津マネキンが初めて日本独自のファイバー製のマネキンを完成させたと言われています。京人形の作り方がヒントになっており、量産に適した工法だったとはいえ、それは今日のFRP樹脂製の比ではなく、紙を素材に成型した本体に胡粉を何回も重ねて塗り十分乾燥させてから紙やすりで表面を磨いて形作るという手間のかかる作業でした。ファイバーマネキンには一体一体、精魂込めて作られた手作りの暖かさが感じられます。

 この工法は1959年にFRP樹脂製のマネキンが誕生するまで31年間続けられました。

 FRP樹脂によるマネキンの誕生は先に述べたマネキンの素材として求められる要素をほぼ満すもので、FRP樹脂製のマネキンの開発はマネキン界、ディスプレー界にとって正に革命的な出来事でした。

 造形物の素材としてFRP樹脂は彫刻の造形などにも幅広く使われ 着色のしやすい素材である事もあって一般の美術展でも本物のブロンズやテラコッタや木などと見分けがつかない巧みに着色されたFRP樹脂製の彫刻作品が予想以上に多く出品されているようです。

 本来彫刻家は木や石や土や金属など素材に対する深いこだわりや愛着を持っているものです。素材から形を発想する,そんな才能や感性を持ったアーチスト達です。私も本物の木や石や金属や陶器などの素材感にとても魅力を感じます。私が今最も付き合いの深いFRP樹脂には、大いに役立ってもらい助けられている素材ですが、あの べたべた感,臭い、汚れなど、どうしても好きにはなれない素材です。またいつまでも丈夫で壊れない、変わらない(変化しない)なんとも可愛げのない素材でもあります。たたけばボコボコと言う鈍い音も良くない。反面それに匹敵するだけの良さを持った素材だろうと、納得して付き合っていこうと思っているのですが、展覧会で、壊れそうな形を石膏やテラコッタなどで作られている作品を見て、FRP樹脂で作ったら良いのではないかと思って、作者にたずねることがありますが「樹脂で作った事もあるけどどうも樹脂が好きになれなくて」と言う作家に何人か出会ったことがあります。そんな時、彼は彫刻家なんだと納得させられたりします。
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 1)ミニチュアはマネキンの4分の1のサイズで作ります。この段階で実作するためのマネキンの ポーズやフォルムを十分検討し確かめる事が大切だと思います。その作業が終わればミニチュアはあえて型を取って残す必要はありませんが私はミニチュアをFRP樹脂にしたり石塑粘土で作ったり、FRP樹脂に金属溶射(金属を溶かして吹き付ける技法)をしたり、いろいろな着色を施したりミニチュアで素材や表現のテストを繰り返しています。

 展覧会会場にて 撮影 筆者