欠田誠のマネキンの世界
第28話 人体の造形 形と彩色
 美術展で人体彫刻に彩色をした作品を多く見かけるようになりました。更にヌードの彫刻に対し服を着た状態を造形した作品が多くなりました。

 私たちにとってリアルな人体とはどのようなものでしょうか、美術学校の授業や作家がアトリエで制作のモデルとしてヌードに接することはむしろ特殊な場合だと言えます。私たちが日ごろ接し 目にする人たちは服を着た状態が普通で、裸の状態を見る事は、特殊な場以外はありません。マネキンは裸の人体を作りますが、服を着た状態を想定して人体を作ります。マネキン制作のアイディアや発想は、街で見かける人たちやファッション雑誌などから得る事が普通でヌードのモデルやヌード雑誌から発想する事は、ほとんどありません。マネキンは常に時代の好み、モードと敏感に呼応しつつ生きてきました。時代性をもっている事、リアリティーを持った人体の表現という意味で、今の時代は、彫刻、人形、マネキン、フィギュア、サブカルチャーなどの表現の境界が薄れ、渾然としているのが特長だと思います。

 日本古来の仏像彫刻や偶像にはリアルに彩色が施されたものが多く、それらの人物像から当時の人体の特長や、衣装など、時代の背景を知る事ができます。

 これらは信仰、崇拝の対象として作られたものですが、日本独自の人体彫刻のルーツと言えると思います。

 日本の人体彫刻が信仰の対象ではなく 近代彫刻として作られたのは、西洋からロダン、やマイヨールの彫刻が日本に紹介されて以降の事でした。とくにロダンの文学的な要素を持った情熱的で激しい表現は日本の彫刻家たちに好まれ大きな影響を与えました。ロダン彫刻を記した『ロダンの言葉』は多くのアーチストにバイブルのように読まれました。

 近代彫刻は立体(彫刻)と平面(絵画)とは全く異なる分野で、彫刻に彩色を施す事はなく、彫刻はあくまでも全てを形で表現する芸術であると考えられました。

 私は美術学校の4回生になった1956(昭和31)年から抽象彫刻を二科展に出品しました。

 当時は彫刻に彩色をするということは無く、彫刻に彩色する事は形を色でごまかす行為と考えられたのだと思います。

 マネキンは彩色をしてヘアーにもペイントして完成させるものです。メークを施し流行の服を着せる事で完成するマネキンは彫刻とはっきりと区別され、マネキンをやったら彫刻が駄目になる、と忠告する具象彫刻家が結構いたものです。

 形は彩色する事によってごまかせるものでは無いという考えは正しいと思います。確かな造形には彩色が無くても、むしろ豊かな色彩を感じることが出来るものです。マネキンの顔も造形の欠点を彩色やメークでカバーする事はできません。よく出来た顔にはいろいろなメークを描くことが出来ますしメークも映えるものです。

 彩色をしたリアルな人体彫刻が多くなりました。一方、マネキンは半抽象的な表現の顔や、目鼻の無い卵のような形の顔や、顔の無いヘッドレスマネキンなどが多くなりました、彩色も全身を白や黒など 単色のものや、メッキを施したものなど多彩な表現が見られます。現代の人体彫刻や人形作家の作品がウィンドウや店のディスプレーに使われることもあります。これらは、今日の人体造形の大きな特長と言えるでしょう。