欠田誠のマネキンの世界
第30話 マネキンと作家のオリジナリティーについて
 店や商品の多様化、個性化が進む市場の変化と共に、いろいろなタイプのマネキンが開発され、使われるようになりました。とはいえ大きな時代の流れ、時代の好みというものがあって、その中での多様化、個性化を訴求する事になります。特に不況な時代にはリスクを伴う大きな変化や冒険は出来るだけ避けようとしますので、少し乱暴な言い方をすれば、似ているけどどこか違う、その微妙なところにこだわった物作りということになるでしょうか。それはうまくいけばより完成度の高いオリジナルな物作りに繋がりますが、さもなければ手っ取り早い安易な物作りとなって結果、真似事、類似品作りになってしまいます。

 いろいろな造形を経験できる事は私たち作家には楽しい事ですが、この傾向は多品種、少量生産に繋がる事でもありますのでマネキンの企業にとっては、制作したマネキンの寿命をいかに長く保つか、(レンタルシステムの日本のマネキン業界では特に)つまり一つの原型をいかにして多様なニーズに対応させ得るか、そのための工夫が不可欠です。一つの原型をヘッドレスのマネキンにしたり抽象的な顔のマネキンにしたり、腕のポーズを変えてポーズのバリエーションを増やしたり時にはボディーを生かしてトルソにしたり、などがありますが全てのマネキンがそのように出来るわけではありません、ゲージの統一化や互換性を考慮した正確な造形など、更に優れた造形のマネキンでなくてはいろいろな変化に対応する事はできません。この画期的なシステムを考案したのはフランスのマネキン作家ジャンピエール・ダルナ(1958−2000)で、自らそのようなシステムに対応できる独自な人体造形のスタイルを完成させたことはマネキン界における革命的な出来事でした。原型のオリジナルの尊重、其の良さをいかすと言う考えが基本になっていることは言うまでもありません。近代彫刻を代表する彫刻家マイヨールは自分の人体彫刻の首や腕を取ってトルソの作品を作ったり、ヘッドレスの人体彫刻にしたりしていたそうです、マイヨールの人体彫刻は知的で構築的で美しい造形であったのでそのような発想が可能だったのだと思います。興味深い話です。おなじ近代彫刻を代表する彫刻家ロダンのような感情的で誇張された表現の人体造形からはこのような発想は出来なかったと思います。勿論ロダンの彫刻にはマイヨールの彫刻とは違った美の世界があります。

 一方効率の良いシステムと言うものは、システムだけが一人歩きしてしまう危険性があるもので、作者の意図しないポーズがどこかで勝手に作られたりすることもまれには起こりうるわけです。マネキンは作家の手を離れて市場に出荷された後は何処でどんなディスプレーに使われるかは分からないもので、いろいろな市場で使われ販売促進の役割を果たし市場で生かされ育てられマネキンが独自の世界を作っていくものです。それは他の人体造形作品と大きく異なったマネキンの特長でもあります。時には素敵なディスプレーで自分のマネキンが驚くほど魅力的に展示されている場に出会うこともあります、時にはカツラがゆがんでいたり衣装が似合っていなかったり、見られたくない姿の自分のマネキンに出会うこともあります。マネキンの使い方に其の店の全てが現れるものです。マネキンはそれほど効果的で訴求力のあるものです。店のウインドーや売り場のディスプレーの場は原型作家にとっては作品の展覧会場でもあると思います。良いクライアントやデザイナーに恵まれることは作品の運命を左右するとても重要な事です。

 作品のオリジナルの尊重にこだわれば、情況によっていろいろなメークを施されたり最初のオリジナルなサンプルがどのように変えられて使われるのか分からないことは不安な事でもあると思います。私は自分のオリジナルな作品が、優れたメーキャップデザイナーやヘアーデザイナーやディスプレーデザイナーによってどのように変貌し生かして使われるか、それがとても楽しみであり、それは他の造形と違ったマネキン造形の魅力だと思っています。