欠田誠のマネキンの世界
第58話 厳しい情況の中でマネキン造形を思う・東北復興応援旅行

 東日本大震災から8ヶ月が過ぎた今、マネキン界に少し変化が見られるようです。日本の情況は東日本の災害、原発事故、政治の混迷、未曾有の円高、タイの大洪水による影響、欧州の財政・金融危機など厳しい環境の中で、何とか店や売り場を活性化しなければならないという思いがディスプレイの必要性を喚起し効果的なディスプレイのツールとしてマネキンが、今、求められているようです。このような風潮に私はディスプレイの原点を見る思いがします。今年の夏には節電で街や売り場は暗く照明も儘ならなかった経験をしましたが、いずれにしても、元気を取り戻す手だてとしてもディスプレイの果たす役割は大きいのではないでしょうか、マネキン・ディスプレイは常に時代の変化と共に世相を写しながらその歴史を重ねてきました。これからの復興のためにマネキンはどのように役立つことが出来るか、それはどんなマネキンなのか、マネキンは新しい時代を迎えていると言えるでしょう。

 10月21日、東北復興応援旅行に出かけました。東北地方は以前に何度か旅したことがあります。それは素朴で美しい自然、食事、温泉を楽しむ旅行でした。今回、大震災による津波の被害をテレビで見ていましたが、実際に現場を訪ね目にした衝撃は大きく、被害に合われた人たちの体験談を聞かされ、自然の力、津波のとてつもない破壊力をあらためて知らされました。

 今回の旅行は青森県の八戸(はちのへ)で一泊。東日本大震災の津波被害を受けた岩手県三陸沿岸に沿って国道45号線を田野畑(たのはた)村、田老(たろう)地区、宮古(みやこ)市、を訪ねました、それから三陸鉄道の、一部の運行を再開した、(復興支援列車として運行)宮古駅から小本(おもと)駅まで乗車し車窓から被害地を視察、更に宮古湾から船に乗って(船長が船を沖に非難させたためにこの一艘だけが津波の被害を受けず残った)周辺をクルーズするというのが主なコースでした。

 かつての観光地も、何処も人影はまばらで、行きかう車も少なく静かでした。これから先、かりに国の支援などで物は足りたとしても、心に受けた大きな傷は癒されるものでは無いでしょう。

 私たちのわずかな励ましが少しでも元気を取り戻す心の糧になってくれることを願わずにはいられません。

 今、東京都が、都民に1人3000円 助成金を出す被害地応援ツアーがあるようです。(文中全て2011年11月現在)

 これからのマネキンの造形、ディスプレイの有り方を考えさせられた旅でも有りました。

 今、新たに顔の制作を始めています。静かで優しい顔と激しい怒りの顔と、極端な二つのイメージがありますが暗いイメージはありません。
写真上段より:
 1)三陸鉄道、島越(しまのこし)駅があった場所、駅舎や高架のホーム、軌道も全て流されコンクリートの基礎と階段の一部が残されている。駅を囲むように郵便局や住宅が立ち並んでいたそうだが跡形もない。
 2)説明によれば郷土の作家宮沢賢治の石碑が三陸鉄道の三つの駅に設置されていた。波に対して斜めに立てられていたので残ったとの事(島越駅)
 3)三陸鉄道の車窓から、観光漁業の町 田老地区、国道の向こうに瓦礫が山のように積まれている。手前は津波で流された住宅の跡
 4)船から見た宮古湾風景、大きなコンクリートの桁が残骸で残されている相当上まで水位が増した様子が想像される。うみねこの繁殖地でもある。

 写真撮影・筆者