欠田誠のマネキンの世界
第68話 高校時代(パート1)立体造形に目覚める

 工芸高校の3年間は(1950〜1953年)戦後の復興に向かって社会の動きが加速したとは言え何かにつけ物が不足して生活は食糧事情が優先した時代でした。然し年ごとに美術の活動も活発になりつつあり、経済の発展に伴いデザインに対する関心の高まりが感じられました。戦争中に中断されていたマネキンはもと島津マネキンでマネキン制作に携わっていた人たちによって終戦の翌年、昭和21年7月には七彩工芸(現・七彩)が設立され、同じく21年7月には吉忠マネキン、22年5月にはヤマトマネキンが設立されるなどマネキン制作が再会されました。

 美術の活動は戦中に美術団体は解散されましたが昭和21年には第31回二科展が開催されるなど活動が開始されました。このような時世に工芸高校の美術科に入学してきた同士は本当に美術の好きな仲間でした。事実彼らは工芸高校を卒業後、社会に出て美術やデザイン界の牽引力となって活躍した功績は大きかったと思います。私は美術科で洋画専攻でしたが在学中に偶々,日高正法さん(彫刻家・1915−2006・二科会名誉理事・大阪彫刻家会議会長)植木 茂さん(彫刻家・1913−1984・モダンアート協会創立委員・戦後の抽象彫刻を代表する1人)との幸運な出会いがあって立体造形の世界に魅せられ、彫刻家として進む決心をする事になります。

 工芸高校に進学して間もない頃、私が小学6年生の時に疎開先の三重県から転校してきた大阪阿倍野区の長池小学校で音楽を教えておられた先生とたまたまお会いした折に「夫が彫刻家だから」と声をかけていただき何も知らずに伺ったのが日高正法さんのアトリエでした。アトリエは阪和線の南田辺駅のすぐ近くで私の住まいからも近く、度々伺うようになりました。先生のお宅は音楽一家で長女の川下由理さんはソプラノ歌手、孫の日高憲男さんはトランペッターで知られています。日高さんは彫刻を作るための新しい素材の研究開発に情熱を持たれ、自分で開発した素材を使って独自な工法で制作した彫刻を毎年二科展で発表されていました。新たに発明された粘土が『日高粘土』の名で商品化された事などが思い出されます。

 私の手元にある日高先生の小品(彫刻)には、「この作品は従来の伝統的焼物と異なり、土と金属(真鋳)の混合による素材で、ステンレスの心棒を入れたまま縮小することなく焼成したものであります。彫刻的タッチを損なうことなく950℃(即ち金属の溶解する温度)にて焼成したものであります」1983年 日高正法 と書かれた説明が添えられています。
 伺うたびに研究中の粘土をテストのつもりいただいたのが、私が彫刻を手掛ける動機になりました。

 植木 茂さんとお会いできたのは、長女の植木未魚子さんが工芸高校の美術科へ入学されたのが縁で植木 茂さんを紹介していただき通学途中にあったアトリエに伺うようになりました。いつも気軽にアトリエに通してくださって制作の現場を見せていただいたり現代美術の貴重な話を伺ったり、植木さんの制作はミニチュアを木に写すといった一般的な制作方法ではなく、木をいきなりノミで彫っていく方法で、制作はとても早く、果敢にノミを振るう姿は緊張感にあふれ力強く正に男の仕事だという感動がありました。トルソをテーマにした作品が多かったと思いますがどこか人体の温もりを感じさせる抽象形態は木の質感とあいまってとても魅力的で、その存在感に魅了されました。

 私なりに抽象美術について学習するようになり、クラスの仲間とも議論を重ねるうちに同志で作品を発表する場をつくろうということになりました。美術団体に応募して作品を発表している者も居ましたが、今日のように画廊が幾つもある時代ではなく、まして金の無い学生が画廊でグループ展をやるなど不可能に近い話でした。

 当時良く知られている画廊といえば梅田画廊がありました。梅田画廊は有名な一流作家の作品が鑑賞できる画廊で知られていました。無謀にも梅田画廊を訪ね土井社長にお会いして我々の趣旨を伝えグループ展開催のお願いをしたのです。社長の御子息、土井憲一さん(現・株猪P梅田画廊 代表取締役)が工芸高校美術科に入学された縁もあったとは思い ますが、我々の夢のような話が梅田画廊のご好意で実現する事になりました。展覧会の名称はFine artsからF展としました。一人2〜3点の出品で大作を競うわけでも無く、決して華やかな展覧会ではありませんでしたが、同志の熱いスタートでした。F展はその後紆余曲折を経て、後の『Fの会F展』の前身になったようです。
写真上段より:
 1)日高正法さんが考案された粘土で作った作品(H約30センチ)
   針金で心棒を作りその上にこの粘土を付けて形を作ると、そのまま硬く固まり作品が出来上がる。わざわざ型を取る必要が無い。
 2)梅田画廊で開催した第二回F展の案内はがき
 3)会場にて出品メンバー達、右から3人目 筆者、バック壁面左の2点は筆者の作品(油彩・25号・変形30号)
 写真提供・筆者