欠田誠のマネキンの世界
第78話 FRP樹脂との出会い フランスのマネキン作家 ジャンピエール・ダルナさんとの出会い

 ファイバー製のマネキンは1928年(昭和3年)に島津マネキン(京都・島津製作所標本部がその前身、島津良蔵によって設立)が京人形の作り方をヒントに日本独自の工法として完成させたといわれています。昭和9年の新聞ではファイバー製のマネキンが作られたことは大変な技術の革新だったようで『今まで使われていた蝋製の人形や材木の引き屑で作られていた生き人形に比べて、比較的廉価であること丈夫で長持ちすること、蝋人形のように変形する心配もなく丈夫で軽く運搬が簡易であり保存も楽である。宣伝装飾品として全く申し分ないほど美しくできており他の装飾の人形とくらで最も将来性に富んでいる』と紹介されています。1959年ポリエステル樹脂がマネキンの素材として実用化されるまでファイバーマネキンはあまり変わることなく続けられました。私は1957年に京都で七彩工芸(現・七彩)に入社、初めてファイバー製マネキン製作の現場を見て工場の人たちの名人芸ともいえる卓越した手作業の技術に驚嘆したことを覚えています。高度経済成長の時代を迎え1950年、60年代は百貨店の婦人服売り場に多くのマネキンが林立して使われマネキンの需要が急速に伸びた時代でした。
当時、京都の太秦(うずまさ)にあった七彩の工場ではファイバーマネキンの生産に追われながら一方で門井嘉衛工場長をリーダーにFRP樹脂を素材にしたマネキンの研究開発が活発に行われていました。市場の環境が激しく変わる変化の時代。これからの時代のニーズに応えていくために、より生産性に優れたそして新しい店作りやディスプレイに対応した新たなマネキンの開発が業界全体のテーマだったと思います。

 フランスのマネキン作家、ジャン ピエール・ダルナさんが初めて来日したのは1958年6月、七彩の招聘により実現しました。ダルナさん36歳の時でした。氏はパリのプランタンデパートのアートディレクターを務めながらそこで使うマネキンを自らスペインの、インターナショナル・コッペリア・マネキン、というマネキン会社で制作していました。七彩の向井良吉さんとはアーティスト仲間として親交が深かったことがダルナさんの心を動かせたと思います。
向井さんはダルナマネキンを商品として輸入するのではなく日本のこれからの市場のためにダルナさんが考えるマネキンを実際に七彩のアトリエに来て制作してもらうこと、そして私たちがダルナさんから学ぶことの大切さを思いそれを実現されたことは七彩にとどまらず日本のマネキン・ディスプレイ界にとって、とても大きな功績だったと思います。
ダルナさんは約一か月半の短い滞在で3体の原型を精力的に制作しました。ダルナマネキンは1959年の七彩の展示会で、初めてのポリエステル樹脂製マネキンとして発表されマネキン・ディスプレイ界に一大センセーションを巻き起こすこととなりました。マネキンの衣装は桑沢洋子さんが担当し、ピンワークを笹原紀代さんが担当し、展示会のディスプレイを末松正樹さんが担当して北海道から九州まで全国5か所を巡回しました。

 これらマネキン界の大きな変革を私は入社して僅か2〜3年のまだ修行の域を出ない時代に経験することになりました。ファイバーを素材にマネキンを作り上げる職人の匠の技も、FRP樹脂というとてつもなく便利な素材との出会いも、偉大なるダルナさんとの出会いも、私にはすべてが新鮮で感動的な出来事でした。

写真:
 1−2)1959年ポリエステル樹脂製マネキンの第1号として七彩の新作展示会で発表されたダルナ原型制作によるマネキン。ピンワーク笹原紀代
写真・『マネキン美しい人体の物語』(晶文社)より