欠田誠のマネキンの世界
第85話 マネキン会社退社後の造形について

 マネキンは原型制作に工場の生産技術、メークなど彩色の技術、更にジョイントの部分などメカニックに関する技術など異なった分野の専門家の優れた技術の総合力があって出来上がるものでその総合力がマネキン作りの魅力だと思っています。個人レベルでは成し得ない作業が可能になり、またそれが新たな発想につながっていきます。私が企業内作家にこだわって来た理由でもあります。これは私のマネキン制作のスタンスだと言われるかもしれませんが私には企業から離れた独立したマネキン作家の在り様が想像できません。当初マネキンだけでスタートしたマネキン会社も今は、店舗の設計施工、環境施設など、色々な分野の仕事を手掛けるようになり外部の造形作家にいろいろな造形の仕事を発注することも多くなりましたがマネキンだけはそうはいかないようです。やはりマネキンは企業のオリジナル商品として企業の顔であり続けているといえるでしょう。マネキンを使う側の百貨店やメーカー、商店などは数あるマネキン会社の中から個々の店にあった傾向の商品を開発しているマネキン会社と共に店舗展開をしており、それは時代の変化と共に苦楽をともにしてきた信頼関係があって簡単にパートナーを変えるものではありません。それにマネキン会社もクリエーターの総合力でかなりの要望に応えられる能力を持っています。企業内作家は所謂サラリーマンですので今の制度では60才が定年です、私がマネキン制作の世界に入った1957年は男が55才定年の時代でした。時代を問わず彫刻や職人など物作りの世界に定年などの決まりがないのは勿論ですが技術者の60歳といえば丁度脂の乗り切った世代といえるでしょう。マネキン界の現状は、原形作家の定年後は契約社員や顧問などの立場で会社に残って制作を続けている作家も結構いるようです、とは言えマネキン作家の世代交代は当然のこと、定年後の作家の役割分担を自覚することが重要だと思います。私の場合、会社は幾つか変わりましたが75歳まで企業内作家の生活が続きました。永年会社勤めをしているとそれなりに責任のある役職がついてくるのでだんだん原形制作だけに専念できなくなりますが定年後は解放されて制作に専念できる環境が得られたと思っています。その後企業から離れてもマネキンの世界からなかなか卒業出来ず、街に出ても店やディスプレイを見て新たな発想が沸いてそれを自分のアトリエでミニチュアを試作したり、顔を制作したりの生活が続きました。あえてそれを企業に提案することはしなかったので、美術展で発表することはありましたが、マネキンとして完成することはありませんでした。今、私は秩父にアトリエを持って制作をしていますが、マネキン生活が長かったのでマネキンに関わる相談を受ける事があります。アイデアは提供できてもマネキンの原形を作る事は出来ません。先にも述べましたがマネキンは原形が出来たら完成というものではありません。より良いマネキンに完成させるためにはそれからの作業の方がむしろ大変です。優秀なメークアーチストやヘヤーデザイナー、生産技術者と出会うことはとても大事なことです。彼らは原形をマネキンに完成させるクリエーターであり表現者です彼ら の力で原形をより良く完成させることが出来ても、原形の欠点をカバーすることは出来ません。

 私は幾つかのマネキン会社を経験していますのでその仕事が得意そうなマネキン会社を紹介するようにしています。マネキンは実際に流行の服を着せてディスプレイに使われる商品であるための制約の多い仕事です。それに売れる商品でなくては企業が成り立ちません。そんな制約にチャレンジして新しいマネキンを開発する事がマネキン造形の魅力ではありますが、 一方で自分が作りたいものとのはざまで悩むことも事実です。かといって制約から解放されたら作りたかったものが一気に噴き出すかといえばそんな都合のいいものではなく、むしろ長年培ってきたマネキン造形の発想からぬけだせない自分に気づかされることになります。マネキンは彫刻の一分野と思っていますが、かなり特殊な造形の世界だと思います。しかしマネキンの造形という特殊な世界で身に付けた技術や感性は得難い貴重な財産ではないか、そこにこそ独自な造形の可能性があるのではないかと思っています。企業から離れたもののマネキンであるための造形の制約から解放された自分を感じるようになったのはごく最近の事です。


写真
多様な人体の造形(マネキン。部分)アトリエのマネキンより
右,スーパーリアルなマネキン 中、蒸着メッキ仕様によるマネキン、左、可動システムのマネキン
写真提供 筆者