欠田誠のマネキンの世界
第92話 マネキンの企業が手掛けた工芸品(クラフト)の制作

向井良吉 1971年(鋳)
向井良吉 1960年(透明樹脂 注型)

戦時中休止されていたマネキン制作は戦後、島津マネキンにいた作家たちがそれぞれに分散して現在の七彩、ヤマトマネキン,吉忠マネキンが誕生し、マネキン業が再開されました。島津良蔵と向井良吉、村井次郎などが加わって創立された七彩は、原形制作面で島津マネキンの流れをもっとも色濃く受け継ぎ、ヤマトマネキンは生産部門、吉忠マネキンは営業部門を得意としたメンバーによってスタートしたと言われて います。七彩だけが社名にマネキンを使わず七彩工芸という社名でのスタートでした。命名は社長の彫刻家向井良吉の兄で画家の向井潤吉で書体は書道家の篠田桃紅によるものです。七彩工芸はマネキンの製作が企業の柱ではありましたが他にも陶芸家、彫刻家、画家などが参加して展示用のオブジェや工芸品の生産、開発が盛んでした。七彩工芸の社名はそんな企業の在り様を表していたと思います。リアルマネキンの最盛期(1950年〜70年中頃)には毎年春と秋に、全国の主要都市で新作の展示会が開かれていました、マネキン会社の展示会では招待した顧客の皆さんにそれぞれの会社が工夫を凝らした記念品を渡す事が恒例になっていました。七彩の記念品(ノベルティ)は当時七彩に集まった向井良吉、村井次郎、毛利武士郎、八木一夫、鈴木治など日本を代表する彫刻家や陶芸家、七彩が招聘したフランスのマネキン作家ジャンピエール・ダルナ、ファション画家のファニー・ダルナさんなどがそのために製作した作品でしたので一際好評だったようです。後には高島屋デパートに『ツータンローズ』という売り場が設けられて七彩工芸はマネキン以外に工芸品、インテリア小物の開発販売を始めました。当時はまだ美術作品や工芸品を部屋に飾って楽しむような時代では無かったので、ツータンローズはかなり時代を先取りした企画だったと思います。今ではこのような売り場はデパートのみならず他でも多くみられ美術館にはアートショップが設けられるなど今日ではむしろブームになっているといえるでしょう。

向井良吉 ?(陶)毛利武士郎 1971年(鋳)毛利武士郎 1972年 (鋳)

1959年には七彩工芸の企画で『火の芸術の会』という展覧会が開かれました。向井良吉、毛利武士郎、柳原義達、木内克、の彫刻家が形を作り川端実、難波田龍起、福田 豊四郎、岡本太郎が絵付けをして陶彫を作りました。マネキンの企業がマネキンの製作を進めながら、いろいろな分野のアーチストが参加して工芸作品の製作を行いその可能性にチャレンジした熱い時代でした。これらの活動は昨年2016年7月京都国立近代美術館主催による『七彩に集まった作家たち』というタイトルの展覧会で紹介されました。同時開催の『あの時みんな熱かった!アンフォルメルと日本の美術』展と同時に見ることで、私も七彩工芸でマネキンの制作をしながら彫刻を作って二科展に出品していた熱かった時代が懐かしくよみがえりました。また2016年6月には富山県黒部市の毛利武士郎記念館で開催された『武士郎手仕事の系譜』展では毛利武士郎が七彩時代に制作したノベルティや工芸作品の数々が展示され、氏の広く知られた彫刻以外のあまり知られていなかった造形の世界を見ることが出来ました。いずれも京都国立近代美術館館長 柳原正樹さんの企画によるものです。
当時ヤマトマネキンも展示会の記念品や、生地をかけて展示するための抽象的な造形作品などを彫刻家 堀内正和が制作しました。一連の作品は1996年5月に美術出版社から発行された『堀内正和作品資料集成 ユーレーカ』に収められた写真資料で知ることが出来ます。

毛利武士郎 1969年 (陶)村井次郎  1972年 (鋳)

マネキンは常に流行の移り変わりとともに新しいマネキンに変えられ、役目を終えたマネキンはやがて破棄され、保存されるものではありません。絵や彫刻のようにコレクターに所蔵されたり、美術館などで保存される物ではないので昔のマネキンが残されている事は極めて稀な事です。
前述した展覧会で僅かに残された昔のマネキンを見ることが出来たのはマネキン会社の特別な配慮や企業努力そして美術館などで学芸に携わる人達のアートに対する理念によるもので、これらの活動は企業を超えてマネキン文化の発展に大いに寄与されるものだと思います。七彩工芸は1981年、七彩に社名が変更されました。
写真上段より
 1)向井良吉 1971年(鋳)
 2)向井良吉 1960年(透明樹脂 注型)
 3)向井良吉  ? (陶)
 4)毛利武士郎 1971年(鋳)
 5)毛利武士郎 1972年(鋳)
 6)毛利武士郎 1969年(陶)
 7)村井次郎  1972年(鋳)
写真提供 筆者