欠田誠のマネキンの世界
第95話 東京オリンピック開催にちなんで。
戦後復興途上の日本があらゆる面で近代化へ大きく転換するきっかけとなったのは1964年の東京オリンピックと1970年開催の大阪万国博(EXPO‘70)でした。東京オリンピックから今年2018年まで54年(僅か54年)日本は人も国もすっかり変わりました。世界で唯一原爆の被害を経験し空襲で廃墟と化した都市を僅かな期間で復興させ経済大国にまでしたことを思えばそれは激変の歴史だったわけで、それなりのひずみは今日あらゆる面で表れていることは否めません。前回の東京オリンピック開催の時は高速道路や新幹線の開通、競技場やホテルの建設など工事で街はごった返しの状態でしたが日本中が国際化、豊かさに向かってオリンピックを成功させようという結束、緊張感と活力があったと思います。

2020年2回目の開催が決まった東京オリンピックはエンブレムや国際競技場の決定などに失態が相次ぐスタートとなりました。エンブレムのデザインも国際競技場の設計もコンペ形式になり、決定されたエンブレムのデザインは既にある他のデザインと似すぎているという事で没になり、国際競技場の設計は外国の建築家の案が採用となりましたが実現するには建築費がかかりすぎるという事で白紙撤回となりました。国際的にもとても恥ずかしい事ですが、エンブレムのデザインについてはこのような作品を見抜けなかった審査員の責任はとても大きいと思います。国際競技場のコンペについて建築予算は聞かされていなかったという審査員の言い分をテレビで聞いて驚きました。建築はコストパフォーマンスに最も関わりのある総合芸術だと思っていますが、プロの建築家が建築費用を考慮しないで建築の設計を決定するのでしょうか?
既に多額の費用が失われたことになりますが緊張感を欠いたこのような現象は、今、政治の信頼を揺るがせている森友、加計学園問題に見られる今日の体質になっているのではないでしょうか。

東京オリンピック開催はマネキン業界にとってもビジネスチャンスだと思います。マネキン界にはどんな動きがあるのでしょうか。 大手といわれるマネキン会社では内見会規模の展示会ではありますがそれぞれにスポーツマネキンを制作して発表しているようです。特に(株)トーマネはスポーツマネキンをメインに12年ぶりとなる本格的な展示会を開催しました。
オリンピック開催までまだ2年ほどありますので今、結果を云々することは適当ではありませんが、このようなアプローチはマネキン・ディスプレイの協会(JAMDA)が業界全体のテーマとして捉え、それぞれのメーカーが得意な分野を担当して、より大きなパワーで対応することが必要だと思います。
残念ですが今日のマネキン業界は同業他社との交流をむしろ避ける傾向にあります。特に技術者が交流することを警戒する傾向が強くあります。私はその理由が分かりません。むしろ大いに交流すべきだと思っています。マネキン、ディスプレイを語り、時のテーマを共有して互いの技術を高め合う事は企業のプラスにつながることです。
私は75歳まで企業に関わって仕事をして来ました。縁があって海外を含め幾つかのマネキン会社を経験して来ましたが。企業にはそれぞれ特徴があり異なった得意な分野が有ることを見てきました。それをより強化し延ばすことが、業界全体の活性化につながると思っています。技術者とクライアントとのコミュニケーションを密にすること、同業他社とのコミュニケーションを図り各企業の特性を磨き独自の魅力を構築するなど幾つかの課題が思い浮かびます。全体に言えることはそれぞれ会社の組織が整備されるにしたがって、原形作家とクライアントとの間に色々な役割の部門が介入し原形作家と市場の距離がだんだん遠くなっていることを感じています。原形制作者は市場を身近に感じられた時、イメージが膨らみ燃えるものです。
東京オリンピックの開催、一方で災害復興の支援活動など、大衆に最も近いアートであるマネキン・ディスプレイの役割、可能性についてあらためて考えてみたいと思います。